【地域】
石川県内浦町
【参考リンク】
2004/
3/5 能登旅行(5)
【恋路海岸】
能登旅行、次なる行き先は内浦町の恋路海岸。恋路海岸!”恋人岬”と並んでこのブサイクにはおよそ最も似つかわしくないであろう名前!なにか恋路ですか?夢路ですか?いとし・こいしですか?(合掌)
さて、この”恋路海岸”という「恋なんて言う言葉にとんと縁のない三十路の独り者など絶対に来るなよ。ここはカップルのものだから、そういうのが来ると汚れるんだよ。フン・ヘン・チッ!」的な名前がこの海岸に付けられているのは一つの伝説からだそうです。
もともとはこの辺りには平家の落ち武者、谷坂小平次なるものが農民となって住み着いたところなので”小平次の里”と呼ばれていたそうなのですね。で、それを”恋路の里”と呼ぶようになったのが悲恋伝説なのです。
昔、助三郎という男と鍋乃という女性が人目を忍んで、この浜で逢瀬を重ねていた。月の無い暗い夜は鍋乃の焚くかがり火が助三郎への目印であり愛し合う二人の希望の灯りでもあった、
鍋乃に思いをよせる、もう独りの男、源次は二人の仲を妬み、助三郎さえいなければと、ある夜灯りを崖の外れに移して、助三郎をだまし、助三郎は足を踏み外し、海に沈んで帰らぬ人となった。
それを知った鍋乃も源次の求愛を退けて、海に身を投げ助三郎の後を追った。この悲しい物語を秘めた浜はいつからか”恋路”と呼ぶようになったと伝えられる。
と結構、生々しい恋物語が伝えられている海岸のわけですね。恋路と言っても、ホントに悲しい結果に終わっているわけでして”恋”という言葉だけで途端に嫌悪感を持った自分が恥ずかしいです。そうですよね、全てのカップルが幸せというわけではないのですよね。
そういうことを考えながら、この助三郎と鍋乃の像を見ていると、来世では結ばれていますようになどということを柄にもなく考えたりもします。もしかしたら、二度とこのような悲劇が起きないようにということを、ずっと語り継いでいくために”恋路”などというロマンチックな名前がこの地につけられたのかもしれませんね。
そうですよね。悲恋を喜ぶより、素直にカップルの幸せを願うべきなのです。普段は「全てのカップルは不幸になれ!」とか言ってますけど、実際のところ、僕はそんなことは望んでないのですよ。人の悲しむ顔を見るのが嫌なものでして。ただ「独りが嫌だ」ということの婉曲表現としてそういう言葉を使っているわけなのです。
だから、仮にこういうハート型のオブジェの鐘をカップルが鳴らしていたとしても微笑ましいなぁと思うタイプの優しい人間なのですよ、僕は。
うんうん。ポストにハートがあってもいいじゃないですか、恋路海岸っていうくらいですもの。むしろ、このポストからラブレターを出した人は両思いになれるといいなぁとか思いますよ、ええ。
うん、うん鴎さんも一羽でいるより、二羽でいるほうがいいよね。一人でいるより誰かといる方が喜びを分かちあえるもんね。
夏にはカップルで賑わうであろうこの海岸。
しかし、今は冬。
誰もいない寂しい日本海の砂浜に独り立つ三十路のさえない独身男性。
すいません、やはりカップルの仲を妬んだ源次の方に素直に共感できる自分がいました
2004/
3/6 能登旅行(6)
【恋路観音堂】
さて、恋路海岸は悲恋伝説が残る場所であると記したわけですが、それがなぜ今のような”恋人達の海岸”になったのでしょうか、普通に考えれば、そこにいくと別れるというようなスポットになってもよいと思うのですが。
じつは、その答えは、この小さな無人の観音堂にあります。
恋路海岸を見下ろす丘の上に立つこの観音堂にいつからか一人の老僧が住むようになったそうです。その老僧とは源次、そう助三郎をだまして殺した悲恋物語のキッカケとなった人物です。
彼は愛する二人を死に至らしめた自分の過ちを悔い、その後、仏道に入り二人の菩提を弔いつつ諸国を修行し、そして故郷に帰り、この観音堂に住みついたのです。
老僧・源次は愛欲・嫉妬に苦しんだ若き日々を省みて男女の仲を取り持つことがしばしばあったので、いつの日からか、この観音堂は縁結びの観音堂と呼ばれるようになり、この堂に参詣する二人は必ず結ばれると伝えられているそうです。
ということでして、愛する恋人同士は死んだが、その罪を悔い、かわりに何人ものカップルを幸せにしたという源次の存在によって、悲恋物語だけでは終わらずに、広がりを見せた話になったわけですね
とは言え、一見美談に思えるこの話にもいささか疑問も残るわけでして・・・
まず悲恋物語の主人公である助三郎と鍋乃は源次の謀略により死んでいるわけで、そこに救いは無いと言うこと。
二人に唯一の救いがあるとしたら源次の改心であるが、源次は改心したが故に一生、その罪に苦しんであろうということ。
その源次が救いを求めるとしたら、助三郎と鍋乃の代わりに何組ものカップルの縁をとりもったこと。
ここに疑問符が付くわけでして、助三郎と鍋乃は戻ってきていないのに、代わりのカップルを幸せにすることで源次は果たして救われたかということなのです。僕が源次の立場なら、むしろ、あの時、こうやって助三郎と鍋乃を幸せに出来たらと後悔は深くなり、かえって苦しむのではと思うのです。
で、その話を知りつつ、自分たちが幸せになりたいので縁結びを願い参詣するカップルというのは、かなり罪深いのではないかなと思うのですよ。僕なら、その傷に触れぬようにそっとしてあげたいところです。
己のエゴで恋人達を不幸にさせた源次。
そして己のエゴで源次を苦しめたであろうカップル。
ホントにそこに幸せはあるのでしょうか?そんなことを考えたりしました。
ところで、この観音堂に参詣する二人は必ず幸せになるそうですが、一緒に参詣する相手すらいないさえない独身男性が一人で参詣した場合はどうなるのでしょうか?もしかして源次のように恋人達の仲を取り持たなければならないのでしょうか?
【見附島(軍艦島)】
恋路海岸から5分ほど車を走らせて見附島に到着。右写真でも分かるように大きい船の形をしているので、別名軍艦島と呼ばれています。なんでも空海が佐渡から能登へ布教に渡った際に、「最初に見付けた島」であることが名前の由来だとか。ダジャレかよ!
まぁ、しかし海にまるで巨大建造物のようにこのような岩島がそびえ立っているのは異様な光景ではありました。見応えとしては抜群であります。
で、僕はもちろん知らなかったのですが、恋路海岸から見附島までの約3.5kmの砂浜海岸は
”えんむすびーち”
と呼ばれているようでして、やはりカップルのためのスポットらしいです。
こんな鐘(通称 愛の鐘)も用意されていまして(写真右の様に足場がハートだったりします)、カップルで来ると盛り上がるんだろうなぁと思いました。もちろん、三十路の独身男性には精神に障るところでしかなかったりします。
さらに言うなら観光客の人が、この鐘を鳴らしていたのですけど、ものすごい音が辺りに響きまして、かなり驚きました。浮かれたカップルがはしゃぎながら何度も鳴らしたりしたら、海岸の石を思い切り投げつけたくなるような、そんな不愉快な音です。
冬の日本海の海岸に男性が独りというのは、それほど違和感ないと思いますが(泣きたくなるほど寂しい状況ですが)それでも、こんなデートスポットの海岸では、自分の中で疎外感を感じます。仮にカップルが多くのカップルが訪れるであろう夏に来ていたらと思うと、想像するだけでかなり恐ろしいものがあります。独り身にとっては一秒でも身を置くことが苦痛なそんな場所になるのでしょう。
しかし、そんな海岸に独りで来る僕もかなり悲しい部類の人間だと思いますが、ある意味もっと悲しいなと僕が思った方々がいました。
この写真の右下に見える人影が二つ。これ男性の方でした。”縁結び”の海岸に男性二人って・・・。それも、風が冷たい冬の海だというのに海岸に座って談笑したりしていまして。おもわず”さぶ”?などという疑問符が頭に浮かんでみたりしました。
いいです、それが彼らにとって幸せであればいいのです。少なくとも独りぼっちの僕よりは幸せなのでしょう。まぁ、彼らが何も知らずに、たまたま遊びに来ただけだったとしたら、僕にそういう誤解を招いただけ、痛い状況ではあるのですが。
それにしても、見附島と言いながら、三十路のさえない独身男性はやはり運命の女を見付けることは出来ませんでした。